教育

許せない?

投稿日:2017年12月8日 更新日:

教師という仕事は、多くの子どもと接する仕事です。

いろんな価値観を持った子どもがいます。
遺伝子も違う、育った環境も違う子どもたちが集まっています。

几帳面な子もいるし、いい加減な子もいます。
素直な子もいるし、あまのじゃくな子もいます。
素早い子もいるし、ゆっくりな子もいます。
強い子もいれば、弱い子もいます。

十人十色であれば、
三十人三十色です。
人の数だけ、その性格は違います。

若い先生の中には、そのことが許せない人がいます。

いい加減な子は許せない。
あまのじゃくな子は許せない。
ゆっくりな子は許せない。
弱い子は許せない。

全て、自分の価値観を
相手に押しつけようとしてしまっているのです。

自分の価値観を押し付ける人は、
他者意識の希薄な人です。

自分と人とは違う

という当たり前のことが見えない人です。

残念ながら、教師の中にも少なからず、
他者意識の薄い人がいます。

教師だからこそ、他者意識が薄いのかもしれません。
教師は、かつて、「みんな一緒」「一致団結」という
学校文化の勝ち組だった子です。
学校文化にうまく適応できた子が教師になります。

他者意識の薄い人は、
自分の考えていることは、他の人も考えていて当然だと
思い込んでしまいます。

ですから、自分の考えている通りに人が動かないと、
「なんでわかってないの。」
「信じられない。」
「おかしいでしょ。」
となってしまいます。

職員室で、子どもたちのことをプリプリ怒っている人は、
大抵他者意識の薄い人です。
自分の価値観の外にいる人が許せないのです。

私の先輩がいい例えをしていました。

特別支援教育に関する講座の中での言葉ですが、
「扇の広がりが狭い人は特別支援の子どもが自分の範囲の外になってしまいます。」
扇を広げれば、特別支援の子どもも自分の範囲内に入ります。」

自分の守備範囲というか、器というか、
そういう心の持ち方を広くすることを扇に例えているのです。
扇を大きく広げることで、
「こんな子もいるんだな。」
とおおらかな気持ちで対応できるのです。

「許せない。」という思いは、
相手の拒絶から始まります。
自分の価値観の外側なのです。
自分の価値観を広げようとしていないのです。

反社会的な行為はもちろん、非難されるべきなのですが、

それ以外の個人の価値観やこだわりなどは、
人に迷惑をかけない範囲でならば、認められるべきです。

特に学校の先生は、
本当に許せないことなのかということを、
ちょっと立ち止まって考えてみる必要があると思います。

-教育

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